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作詞家列伝 サトウハチローさん 

Category: 作詞作曲  

作詞家・作曲家列伝 サトウハチローさん
<本稿は 公募ガイド社「昭和青春ポップス」の連載記事から転載しました。 →公募ガイド社> 

さて、今回は、詩人のサトウ ハチロー(1903年<明治36年>5月23日 - 1973年<昭和48年)>11月13日)さんをご紹介します。
ある世代には、 「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぼ」「かわいいひなまつり」などの誰でも知っている童謡作家として、
また、ある世代には、「長崎の鐘」「リンゴの唄」などの歌謡曲作家として、
40代50代のフォーク全盛期を経験した世代には、「悲しくてやりきれない」(フォーク・クルセダーズ)の作者として……サトウハチローさんの名前や歌詞のフレーズは、きっと心に残っていると思います。

サトウさんは、実に、個性的で魅力的な作詞家・詩人・作家です。

サトウさんは、作家の佐藤紅緑の長男として、東京は新宿に生まれました。まさに意外ですが、サトウさんは、手の付けられない不良少年でした。

悪さをして放校された結果の転校11回、落第3回、父親から勘当されること17回に及んだそうです。
また、東京の30数カ所の警察署のうち、ほとんどすべてにぶち込まれたそうです。

それもこれも、父親が舞台女優の三笠万里子と不倫の果て、母と離縁したことから始まります。サトウさんを溺愛した母は、実家に帰され、その後亡くなりました。

最愛の母を失ったサトウさんは、父に対する反発もあり、非行に走ったのでした。
再婚した万里子と父との間に生まれた異母妹が作家の佐藤愛子さんです。
2000年に出版され菊池寛賞を受賞した「血脈」(佐藤愛子著)に、この辺りのサトウさんの様子が詳しく書かれています。

サトウさんは、不良少年として感化院という少年矯正施設にも入れられました。
ここで、父は息子を弟子で詩人の福士幸次郎に預けました。
ここで、サトウさんの人生が大きく、大きく変わり始めます。
サトウさんの詩人としての才能を見抜いた福士さんの紹介で、西条八十さんに弟子入りし、童謡を作り始めたのでした。

母を失った悲しみ、荒れ狂って歪んだ心、様々な想いを経験してきたからこそ、心が豊かに育ち、素晴らしい作品を生みだすことが出来るようになったのでしょう。

さて、サトウさんの作品の幅広さを紹介していきましょう。
戦後日本の元気・復興の象徴曲となった「リンゴの唄」! サトウさんの作詞です。
もともとは、戦時中に発表された、ある種、軍歌的な歌だったのですが、内容が軟弱である等の理由で検閲がおりませんでした。
終戦直後、映画「そよかぜ」の挿入曲として発表され、大人気を博しました。
メロディーの明るさや楽しさ、当時、高価で高級だったリンゴのまっ赤なイメージなどが、聞く人の心を暖かくしたのはもちろんですが、歌詞の素晴らしさもヒットの要因であったと言えます。

リンゴの唄の4番に
♪歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なおたのし
みんなで歌えば なおなおうれし……

というフレーズがあります。
人々が手に手を取って復興して行こうという強いメッセージを感じますね。
まさに、サトウさんの作詞家としての凄さです。

また、童謡作家としてのサトウさんの代表曲では、「ちいさい秋」を紹介しましょう。

♪誰かさんが 誰かさんが
誰かさんが みつけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 みつけた

……ではじまる日本の秋を象徴する名曲ですね。

1番では、
♪めかくし鬼/手のなる方へ/澄ましたお耳/呼んでる口笛/もずの声……と音に関する言葉がいっぱい表現されています。そう、秋を音の中に見つけ出す感性です。
2番3番では、
♪くもりのガラス/うつろな目の色/とかしたミルク/はぜの葉あかくて/入日色……と色=視覚に関する言葉が登場します。
そうです。目に見える秋を描いています。

サトウさんは、自宅の書斎に寝そべって原稿を書いていました。その時に、西日が入り込む窓ガラス越しに、庭のハゼの木のまっ赤な葉っぱが見えたそうです。
その時に生まれたのが、「ちいさい秋」です。
この歌詞の繊細さを思うとき、暴れ者だったサトウさんは、想像も付きませんね。

実は、この歌詞の中に亡き母の想い出が描かれています。
♪昔の昔の 風見の鳥という言葉が3番に登場するのですが、クリスチャンであったという母と行った教会で見たことがあった風見鶏…。
母との想い出の風景にも、秋を感じたのですね。
サトウさんの心の根底に、母への限りない想いが横たわっているのです。
2万曲を越すサトウさんの作品の中、おかあさんを歌った詞が3600もあるそうです。
いかに、サトウさんにとって母親の思いが重要だったかが分かりますね。


実は、ここで歌われている「はぜの木」は、サトウ邸が壊されてから、接ぎ木されて今も都内,
東京メトロ丸ノ内線「後楽園」駅近くの礫川公園に植えられています。
この赤い色から この歌が生れたのですね。

hazenoki

さて、
母のいない寂しさや心の空洞を、時に激しい怒りやアートにぶつけていくスタイル!
母を失った喪失感からの少し歪んだ、そして限りなく繊細な美学!

そんなサトウさんの存在感を思うとき、野口(私)は、ビートルズのジョン・レノンを思い出さずにはいられません。
ジョン・レノンもまた、母に捨てられ、その喪失感がジョンのアートに大きな影響を与えていました。荒れ狂った時期もあります。母を歌った楽曲もあります。ジョンのソロ曲「マザー」では、母に捨てられた想いを絶叫とともに歌っています。
まさに、サトウさんは、ジョン・レノン!
いや違いました。ジョン・レノンは、イギリスに生まれたサトウハチローです。


実は、日本のビートルズといわれて「帰ってきたヨッパライ」でデビューしたフォーク・クルセダーズのデビュー2作目「悲しくてやりきれない」。
その作詞も、なんとサトウさんでした。本連載の加藤和彦さんの回で紹介したように、本当ならフォーク・クルセダーズの2作目は、北朝鮮の曲「イムジン河」であったはずです。しかし、当時の社会情勢などなどの影響で、発売中止というショッキングな結末を迎えました。
急遽、メンバーの加藤和彦さんが新曲用に作ったメロディーにサトウさんが歌詞を乗せたのでした。
♪悲しくてやりきれない……まさに、フォーク・クルセダーズの心の内の葛藤を、静かに、でも胸に染み入るほどの力強さで、この歌詞にまとめたサトウさん。

強さも優しさも繊細さも、すべて知っているサトウさん(当時65才)だからこそ書けた歌だったのですね。

今一度、サトウさんの名曲に耳を傾けて、その歌詞の奥深さを味わって頂ければ幸いです。


童謡を書いてみたい皆さんは、サトウさんの詩集やCDから多くを学んでくださいね!

野口義修と一緒に作詞作曲を楽しく、自由に学びませんか? →作詞作曲自由区


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テーマ : 作詞・作曲    ジャンル : 音楽
 2014_04_07

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プロフィール

野口義修

Author:野口義修
野口義修(のぐちよしのぶ):
作編曲家、音楽プロデュース、著述、ポピュラー音楽教育、携帯/ネット・コンテンツ・プロデュース、イラスト ...... 日本音楽著作権協会会員
■著書:
作曲本~メロディーが歌になる~
歌詞から作曲できるようになる本 (CD付)
CD付き 楽しく学べる作詞・作曲
作詞・作曲ドリル本(CD付)』……
■メール: 本ページ下部のフォームからお送りください。
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NOGU_YOSHINOBU
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